"何にでも挑戦する。沢山の'やってみたいことへの一歩'で私の人生は繋がっている"
Aya Yasuda:日本出身、パリ生活14年目のダンサー。8歳でバレエを始め、18歳でフランスマルセイユ国立バレエ学校に入学。2014年にパリ・シャトレ座にてブロードウェイミュージカル『The King and I(王様と私)』、『UEFA EURO 2016』開会式、2023年にはサウジアラビアの『Red Sea International Film Festival(紅海国際映画祭)』開会式にダンサーとして出演。2017年~2019年にかけてはフランスやオランダのオペラ劇場で『My Fair Lady(マイ・フェア・レディ)』、『Un bal masqué(仮面舞踏会)』、『Les noces de Figaro(フィガロの結婚)』などのオペラ歌劇で活躍。代表作とも言える『ブロードウェイ・ミュージカル ライオン・キング』(2021年~2023年)には初代ダンサーとしてパリ・モガドール劇場で出演していた。
バレエを始めたきっかけを教えて下さい。
子供の頃から外で遊びたかったり、体を動かすことが好きでトランポリンもやっていて、バレエも始めました。幼馴染のお姉ちゃんがバレエのレッスンを観に行くのに誘ってもらったのがきっかけです。楽しくて、それ以来ずっと続けています。
パリに行くというのは自分で決められたことですか?
「海外に行きたい」という気持ちは小学校高学年の頃からずっとありました。通っていたスタジオの先生から、「バレエをやるなら、フランスが元になってるから、フランスのメソッドを学びに行って欲しい」って言われてそこから学校を探しました。
小学生の頃からずっとそれを目標にやってこられたのですか?
小学校6年生くらいからコンクールに参加したり、その頃からバレエをより真剣に取り組みたいと思うようになりました。あと、海外に行ってみたいという思いもありました。20歳の時に帰国してタイムカプセルを開けたら、「海外に住んでいて居ないかも知れないけど…」と書いていて、その頃から行きたいという気持ちがあったんだと感じました。
今後もパリで活動していく予定ですか?
とりあえずはそのつもりです。パリで10年ビザを取得出来たので、少し安泰ですね。1~2年に1回ビザのことを考えたりしなくてもよくなったので。ダンス以外のことも出来るようになるので、今年は視野を広げて、ずっとやりたいと思っていたことを目標にやっていこうかなって思ってます。
海外で活動するにはビザの問題は大きいと思います。学生ビザでパリに行き、卒業後はビザや就職はどのようにされました?
マルセイユに行ってすぐに怪我をしたこともあって、帰国したいと思っていた時期がありました。その時に親とパリに残るか残らないか相談して、アーティストビザの申請を行い、取得出来たら残るということにしました。とりあえず出してみたら奇跡的に通って、その時初めてアーティストビザ3年をもらえました。
その後、ビザの制度が変わって、自分の仕事の契約毎にビザの更新を行っていきました。コロナの影響で1年しか取れなかった時期もありました。『ライオン・キング』で2年のビザを取得し、今年10年ビザを取得できました。
『ライオン・キング』のオーディションを受けるきっかけ、キャスティングされた経緯を教えて下さい。
『ライオン・キング』のオーディションは3回受けました。最初の2回はスペインのもので、それは結構前でした。1回目のオーディションはパリに着いて直ぐで、2回目は約7年前ぐらいです。最後の選考まで残ったんですが、その年は女性の役に空きがなく、誰も採用されませんでした。
でも次の年に、いきなりスペインから「空きが出来たので来て下さい。」って電話がありました。その時はオランダでオペラツアーを1ヶ月半ほどしていたので、抜けられる状況じゃなくて見送りになりました。その後パリの『ライオン・キング』のオーディションがあることをたまたま見つけて、「これは受けるしかない」と受け、半年間のオーディションの後にやっと合格出来ました。
実際合格してみてどうでした?
本当に嬉しかったです。それまでは『ライオン・キング』とは縁がないと思っていたので。ディズニーランド・パリの『ライオン・キング』のショーのオーディションを、パリに来たての頃に受けた時、最後の方で落ちてしまって。スペインのオーディションも2回受けていましたし。今回合格したのはタイミングでした。
アンサンブルとして出演されていましたが、歌の練習はこれまでもされていたのですか?
歌に関してはあまり練習していませんでしたが、ミュージカルのオーディションではダンサーであっても最後に歌の審査があります。他のオーディションでそこで落選したこともあったので、「磨かないと」と思っていました。『ライオン・キング』のオーディションが決まった時に、パリで声楽を学んでいる友達に何回かレッスンを頼んでそれでオーディションに臨みました。
『ライオン・キング』での思い出で一番印象に残っていることは何ですか?
一番印象に残っているのは、1年目の制作期間です。『ライオン・キング』は何年も続いている国が多く、新しい人が入ると新メンバーだけでリハーサルして舞台に立つという形が一般的で、その間も公演は行われています。私たちの場合、全員が1年目でした。
コロナの影響でリハーサルが1年延び、コロナが明けて初めて顔を合わせ、2ヶ月間のリハーサルを経て公演が始まりました。コロナの影響で長い間人に会えなかったこともあり、1年目ですし絆が強かったです。
現在に至るまで数え切れないほどの苦難があったと思いますが、その中でも一番大変だったことは何ですか?
渡航してすぐに怪我をしたことです。結構深刻で腰に痛みがあって、渡航して3ヶ月後ぐらいで段々レッスンも出来ないぐらい痛くなってきて。学校に入った緊張とかで筋肉が硬直して動けなくなってしまいました。フランス語も理解できないまま病院に行き、手術が必要だと言われて。それは難しいということで一度帰国しました。
日本でリハビリやトレーニングを行い、1年後にやっと授業に参加出来るようになりました。特に辛かったのは学校の授業だけでなく、1年間の公演や(作品の)制作期間にも参加出来なかったことです。年の最初の制作期間に転んでしまったので、その後の1年間舞台に立つことが出来ませんでした。同級生が舞台に立つ姿を見るのは辛かったです。1年目でフランス語も理解出来ず、2年間の学校生活は非常にショックで、辛い思い出でした。
その後大変なことがあっても、”あの時を乗り越えたから”と強みになっているんですね。
そうですね。特にパリでの最初の1年は仕事が決まらず、負の状態が続いていました。一番辛かった時期ですが親が後押しをしてくれたことが大きくて。母に「学校も行ったのにもったいない!頑張り。」って言われたこともあって、帰りたかったけど残ったんです。それで初めての仕事が決まって、良いように回っていくようになっていきました。
今後の目標について教えて頂けますか?
ビザが10年取れたので、これまで出来なかったことにも挑戦していきたいです。マッサージの資格を取りたいと思いて、写真やビデオもやってみたいです。動画を撮るにもやっぱりダンサーであることって、ダンサーを撮る上では一番武器になる。動きが分かってる分、付いて行けるので。よくダンスのビデオを撮って欲しいと頼まれることがあるので、やってみたいと思っています。ダンサーとしてはイベントとか単発短期の仕事で、フリーランスに戻りたいですね。
Ayaさんみたいに海外での活躍を目指している方にメッセージやアドバイスがあればお願いします。
とにかく好奇心を持って何にでも挑戦することが大事だと思います。やってみたいと思う気持ちに、その行動力が伴わなければ、結果がついてこないので、何であれやってみる。私もフランスに来たときにはフランス語が話せた訳ではありません。途中で帰ることも考えていましたが、親の助言で残ることになりました。やりたいと思うことがあれば、一歩踏み出してみること。私もマッサージ師になる訳ではありませんが、マッサージの資格を取りたいから試験を受けてみようと思っています。私は自分の人生が、沢山のやってみたいことへの一歩で繋がっていると思っています。
Photo Credit: [Elsa Georgelin]
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